浅間神社(二宮金次郎の墓)
二宮金次郎の墓がある神社。同名の神社が数箇所あるが、この浅間神社は、静岡県駿東郡小山町藤曲にある。

浅間神社
周辺
二宮金次郎の墓
円状の墓石。
誠明院功誉報徳中上[1]居士
安政三年 丙辰年
十月二十日
俗名
二宮金治良[2]
安政三年 丙辰年
十月二十日
俗名
二宮金治良[2]
[1]
「中正」が正しいとされるが、実際の墓碑では「中上」となっており、付近に立つ案内板でも「中上」と判読されている。原文ままとした。
[2]
原文まま。
台座に刻まれている文章は以下のとおり(本文は正則の漢文とは異なり、目的語のあとに動詞を置く文法で書かれているようである)。
報徳
藤曲村自天保四年至同七年凶作飢饉続疲弊困憊極二宮先生救済法懇願先生快諾親臨検報徳趣法教更指導村民恩恵浴勤倹努力副業勉一村回復事蹟顕安政四年十月慶林寺建碑其英霊祀大正四年八幡神社境外遷先生遺徳愈高八十年祭当紀念関係三区相議更浅間神社境外遷座為鴻恩報永久祭祀者也
昭和十年十二月吉日
旧藤曲村
藤曲区
南藤曲区
落合区
区民一同
石工
水谷仙助
藤曲村自天保四年至同七年凶作飢饉続疲弊困憊極二宮先生救済法懇願先生快諾親臨検報徳趣法教更指導村民恩恵浴勤倹努力副業勉一村回復事蹟顕安政四年十月慶林寺建碑其英霊祀大正四年八幡神社境外遷先生遺徳愈高八十年祭当紀念関係三区相議更浅間神社境外遷座為鴻恩報永久祭祀者也
昭和十年十二月吉日
旧藤曲村
藤曲区
南藤曲区
落合区
区民一同
石工
水谷仙助
解説

解説
小山町指定文化財(建造物)
藤曲浅間神社の二宮金次郎墓碑
所有者 浅間神社(藤曲浅間神社)
指定 平成二七年九月二五目
指定番号 第一八号
構造 墓石の形状は、二宮の「一円融合」の思想を表す
高さ・・一七一・二cm、幅・・九八・一 cm、奥行き・・六六・五 cm
戒名・・誠明院功誉報徳中上[3]居士
右側面・・安政三年 西辰年
左側面・・十月二十日 俗名 二宮金治良[4]
年代 安政四年(一八五七)一一月
材質 伊豆石(天城の船原産)
特徴 「天保の飢饉」(一八三三~)により、藤曲村は疲弊してしまいました。そこで籐曲村では、村の再建プランを二宮金次郎に託し、二宮の現地調査等を経て、見事再建することができました。そのため、藤曲村では二宮への感謝の念を示すため、墓碑を建立し、顕彰することとしました。
なお、この墓碑は二宮の死後、一周忌に合わせて藤曲村民が慶林寺に建立したものです。その後、藤曲浅間神社へ移設されるまでの経緯は、台石に刻まれています。
※「藤曲浅間神社」の正式名称は「浅間神社」ですが、町内に四箇所「浅間神社」が存在することから、地域での通称及びその他の浅間神社との混同を防ぐために「藤曲浅間神社」といたしました。
平成二八年三月
小山町教育委員会
藤曲浅間神社の二宮金次郎墓碑
所有者 浅間神社(藤曲浅間神社)
指定 平成二七年九月二五目
指定番号 第一八号
構造 墓石の形状は、二宮の「一円融合」の思想を表す
高さ・・一七一・二cm、幅・・九八・一 cm、奥行き・・六六・五 cm
戒名・・誠明院功誉報徳中上[3]居士
右側面・・安政三年 西辰年
左側面・・十月二十日 俗名 二宮金治良[4]
年代 安政四年(一八五七)一一月
材質 伊豆石(天城の船原産)
特徴 「天保の飢饉」(一八三三~)により、藤曲村は疲弊してしまいました。そこで籐曲村では、村の再建プランを二宮金次郎に託し、二宮の現地調査等を経て、見事再建することができました。そのため、藤曲村では二宮への感謝の念を示すため、墓碑を建立し、顕彰することとしました。
なお、この墓碑は二宮の死後、一周忌に合わせて藤曲村民が慶林寺に建立したものです。その後、藤曲浅間神社へ移設されるまでの経緯は、台石に刻まれています。
※「藤曲浅間神社」の正式名称は「浅間神社」ですが、町内に四箇所「浅間神社」が存在することから、地域での通称及びその他の浅間神社との混同を防ぐために「藤曲浅間神社」といたしました。
平成二八年三月
小山町教育委員会
[1]
「中正」が正しいとされるが、実際の墓碑では「中上」となっており、付近に立つ案内板でも「中上」と判読されている。原文ままとした。
[2]
原文まま。
[3]
「中正」が正しいとされるが、実際の墓碑では「中上」となっている。原文ままとした。
[4]
原文まま。